
更新日 2008年1月11日
氏 名;鈴木博之。
年 齢;45歳。
血液型;A型。
生年月日;昭和38年1月5日 新宿区信濃町の東京電力病院にて生まれる。
家族構成;妻 悦子 42歳。長男 彰悟 17歳。次男 陵司 15歳。長女 日菜 10歳。
趣 味;オートバイ、ロードレース、JAZZ、トランペット、オートキャンプ、釣り(アウトドア全般)機械いじり(手を汚す事)、子供と遊ぶ 他…
有名患者様;1994,98WGP125チャンピオン:坂田和人選手ほかライダー、モータースポーツ関係者大勢。
全日本ロードレースチーム S−way、FRSは専属トレーナー契約です。
競輪:吉岡稔真選手(福岡)。オートレース:岩田行雄選手(船橋)。
本籍;東京都 練馬区 早宮。
昭和44年 私立仲町幼稚園卒園。
昭和50年 練馬区立開進第一小学校卒業。
昭和53年 練馬区立開進第一中学校卒業。
昭和56年 東京都立航空工業高等専門学校 高等部卒業。
実は高専は5年生なんですが3年の時に、小学校からかじっていたJAZZトランペットで飯を食おうと、当時日本のトップに君臨していた某ビッグバンドに迷惑がられながらもお金も払わず(払えず?)弟子入り(単なる追っかけ?)しておりました。
そこで勉強する為、毎週月曜日に昼からリハーサルをやって、20時頃から収録、日曜日の18時から放映されていた某お堅いテレビ局の人気歌謡番組の収録ホールに入り浸っていた為、当然の如く月曜午後の単位が取れなくなって進級出来なかったというのが実情です(笑)
昭和56年 音楽で身を立てようという不相応なバカ息子(今でも?)を説得してくれたありがたい両親の勧めで(当時は親の言うことを聞く良い息子だった?)もう一つの趣味であったオートバイで飯を食うべく、2輪業界に就職。
城北ホンダオート(Jhaレーシング)三鷹のモトギャルソン等のバイクショップにお世話になりながらロードレース界にデビュー。
ここからは西暦で記載します。
1983年 筑波選手権SP−2及びF−3クラスにデビュー。初レースで6位に入賞。いきなり賞品をもらって、「俺は天才だ!」と勘違いしたのが運の尽き。
1986年 前年度の実績からジュニアクラスに昇格、元WGP350世界チャンピオン片山敬済氏が発足したRT KATAYAMAの契約ライダーとなる。同時に相模原市所在の、後にSUZUKI系トップサテライトチームとなるRT MIRAGE関東代表の長田氏に、そのライダー、エンジニア。
資質、人望、人材管理能力、経営能力を買われて招へいを受け、転居。この契約ライダーの時期に監督である片山氏がトレーナーも兼務していた為、その効果に感銘を受け、現業のきっかけとなる勉強を独学で始める。
1987年 前年度全日本ジュニアクラスランキング7位の実績から国際A級に昇格。
大手レコード会社がプロデュースするウエルナーガールズ(後に一人が一世を風靡した × ×ガールズのメンバーでデビュー)をキャンギャルに擁して鳴り物入りでデビューしたウエルナーレーシングのエースライダーとして招へいされる。
シーズン中、A−250クラスの予選で転倒、鎖骨を粉砕骨折し休養。その間にチーム運営の粗悪が露呈し解散。
約5ヶ月の休養を経て勤務契約をしていたRT MIRAGE関東のライダーとしてSUZUKI車の開発も兼ね復活。
しかし、後遺症から左腕がコンパートメント症候群という難病にかかり、浜松の有名スポーツドクターに当時国内で3例目となる手術を受け順調に回復するも、完治まではいかなかったのと、自身がチャンピオンになれる器では無いと判断し、1988シーズンをもって引退。
その後、チーフエンジニア、長田氏の右腕として鈴鹿4時間耐久レース2連覇を始め、ロードレース界前人未踏の記録に貢献し、後の全日本GP250クラスチャンピオン、WGPライダーとなる沼田憲保選手のチーフメカニック、エンジニアを務めるなど日本ロードレース界の発展に尽力する。
同時に現業の勉強の為、独学の傍ら各団体のセミナー等に積極的に参加。
1991年10月 シーズン終了をもってRT MIRAGE関東を退社。本格的にカイロプラクティック専門学校等の各セミナーに参加し現業の勉強を始める。
当初1989年に購入していた分譲マンションにて副業として、すずき施術院を臨床勉強として初めていたが、マンションの一室では手狭になった為、現住の店舗付き住宅を賃貸契約、現在に至る。
1995年 この頃より、カイロプラクティック業界を始め、医療界全体の利益追求主義、その為に患者様を反古にし、一番適切な医療を提供しない病院経営等のあり方に疑問を感じ各種団体の有志と医療改革活動を始める。
1997年 レース界の一線からは退いていたものの、完全には足を洗えず、契約トレーナーとしてつき合いのあった1996年全日本選手権GP125クラス、ランキング8位の稲毛田潤選手を始めとする5人のライダーを擁し、人気バンドTUBEのドラマー松本玲二が監督を務めるRT TUBE RIDERSの契約トレーナー、マネージャーとして全日本選手権に復活。
1998年 同様のメンバーで全日本選手権を戦い、稲毛田選手が初優勝を成し遂げタイトル争いに加わるも、アクシデントの為、ランキング2位。
この年より愚息達が全日本ロードレース併催のイベントを見てキッズカートを始める。
1999年 国内No1塗料メーカーである、日本ペイントマジョーラをメインスポンサーとする稲毛田選手1台の少数精鋭体制となったRT TUBE RIDERSとトレーナー、マネージャー契約を継続。
1999年3月 かねてから興味のあった政治活動のスタートとして某選挙に立候補。某テレビ局が私個人の特番を組んで頂いてその気になっていたのですが、放映前日に某宗教団体がテレビに出せと騒ぎ出したとの事で、急遽役員会議で放映中止となってしまい・・・・・・・以下省略
本来なら、放映中止の時点で断念し、告示手続きをしなければ良かったのですが、既に各方面に挨拶をしていた為、生来の頑固者としては、引くに引けず、恥?をさらしてしまいました。世間では変わり者の大馬鹿者と言われたかもしれませんが、後悔はしていません。自信過剰の私としては、個人の能力、人間性など、どうでも良い現在の選挙制度を変えていかないと、一般家庭に生まれながらも能力のある若者が政界に出て来れず、2世議員や有名人と言うだけの能力の無い政治家に牛耳られてしまうと、日本の将来を憂いている次第です。
救われたのは、根性なしだった当時小学校3年生になった長男が、直後の学級委員に立候補し、クラスメイトの前で演説をし、3名のなかで、見事圧勝で選ばれた事でしょうか。(ほんの親ばかです!笑)
1999年5月 かねてから理念を共有、所属していた、「生活習慣病の予防と対策会議」より福祉活動主体のPMAクラブより民間のインストラクター養成講師の依頼を受け受諾。
2000年 長年関わってきたロードレースも一線からは身を引き、真面目に本業に取り組みながら?も、2人の愚息と1998年から始めたキッズカートがメインに。
しかし、この年はカートレースのきっかけになったロードレース全日本選手権筑波ラウンドに併催されたJカートの40クラスにおいて、長男が念願の優勝を飾り、更に2戦2勝のパーフェクト、次男も2戦目にトラブルの中、4位と健闘したのが、一番感動でした。
2002年からは業界の常識を覆してオートバイ用のミッション付きエンジンを搭載したスーパーカートで参戦を開始!
以降は内容がより濃くなるので、趣味の専用ページをご覧ください!
現在スポンサー募集中!(ステッカー貼って優勝したら飯食わせるよー!って奇特な方が居られましたら連絡ください!笑)
他の細かい医療関連の学歴、経歴については数が多いのと、医療、経営上の理念の違いからケンカしている所、評判が悪い所もあるので、あえて公表しません。
こういういい加減な教育システムしか(近年は随分良くなりましたが)確立されていないカイロプラクティック業界の問題も自らの襟を正す必要があり、それが厚生省認可、推進している統合医学普及の近道になると、考えております。
近年の医療改革活動については、同士達と草の根運動をしているだけで、(一部ではかなりの評価を頂いていますが?)残念ながら医療改革といえる結果を残していないのが実状です。
但し中にはご高名な方もおられるので必ずや報われると考えております。現在、比較的共通理念を有し、所属している団体名だけ明記しておきます。
過去の地域活動